HOME > トピックス > 中国「大連」研修旅行
中国「大連」研修旅行
当社の研修旅行は、海外旅行と国内旅行を組み合わせながら毎年行われています。日本だけにとらわれるのではなく、世界を視野にいれ、新しいものを見聞することにより、その経験が仕事また自分自身においても、この国際化時代の中で貴重なものになり得るという米沢社長の方針です。海外研修旅行は、過去に、グァム、ハワイ、韓国、バリ、上海、ラスベガスを訪問しており、本年は中国の「大連」と決定しました。5月10日から三泊四日の日程で支店・営業所を含めた全社員が四班に分かれ、現在研修を行っています。大連は中華人民共和国遼寧省の南部に位置する地級市(地区クラスの市)。経済的重要性から省クラスの自主権をもつ副省級市にも指定されています。総面積12,574平方キロ、旧市街地面積2,415平方キロ。人口は約590万人。1978年に始まった改革開放政策の一環として1984年に経済技術開発区に指定され、 韓国企業の進出が著しいそうです。大連港は中国第3の港湾都市で、最大の石油輸入港です。2003年の輸出総額95.3億米ドル、輸入総額77.7億米ドル。2006年現在、新港の建設が進められています。今回の研修旅行では、金沢市内に本社のある電機電子部品メーカー東亜電機工業が大連の経済技術開発区設立した100%出資の現地法人「大連三希電機有限公司」を訪問させて頂きました。

~研修レポート 中国「大連」を訪問して~ 


1.大連について
(1)大連市はアジア大陸の東に位置し、遼東半島の最南端にあり三方(東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てた)を海に面した風光明媚なリーゾト地です。
(2)東経120度58分~123度31分、北緯38度43分~40度10分に跨っています。(北緯は、日本の仙台市と同じ)
(3)海上の玄関口で貿易、工業、観光が盛んで「北の香港」、「北海の真珠」等の異名をとり、過去の歴史によりロシアや日本の流れを汲んだ異国情緒溢れる町並みが見受けられます。

2.研修内容
(1)大連三希電機有限公司
①会社概要説明
・設立 2001年11月  ・資本金 6,300(万円)
・運用資金 8,800(万円) ・製品は、重機のワイヤーハーネス関係
・主な輸出先(国)コマツ(日本)、東芝(アメリカ、イギリス、ドイツ)
②大連に進出した理由
・ワイヤーハーネスは、手仕事が多く国内での生産では採算が合わない
・大連には、安い労働力が多く、勤労欲が高く向上心も高い
・貿易港があり、北陸方面への海上輸送に適している(5日程でコマツに着)
・日本からの進出企業が3,000社と多く、住みやすい
・学生が多い(大学が多い)安定した労働力が確保できる
③従業員数の推移
・2002年3月(27名)でスタート → 2006年5月(274名)・・約10倍
④ 製品の不良率の現状
・月産10,000本に対して1本程度(生産ラインとは別に検査のみを実施する検査員を7名配置して万全の体制を整えている) 
⑤ 工場の生産ラインを見学させていただき、手馴れた作業状況に感心するばかりであった

エピソード:生産場所には、冷房設備が無かったのですが、室温が29℃を越えるとアイスキャンディーを支給することが労使間での取り決めだとの事、平均年齢21歳の女の子らしさを感じました。

(2)大連三希電機有限公司の建物のオーナー兼電気工事会社の社長
①我々が電気工事会社の社員ということで、三希電機の支社長が気を利かしてオーナーを呼んでいただいて大連における電気工事業の現状について説明をしていただきました。
②中国での電気工事をするに当たっては、役所に工事の申請をして許可を受け、工事に係り工事が完成するときに審査を受けると言う手順で行われるとの事でした。
③電気工事に携わるのには、日本と同様に免許(資格)が必要で資格を持った人のみが工事に従事できる。
エピソード:中国では、土地は国家の物であり基本的には売買できないのが通常ですが、オーナーに質問したところ返ってきた答えは、工事代金の換わりにこの周辺土地を代償として国から貰ったとのことなので建物のオーナーだけでは無く、正真正銘の地主だと言う事でした。ちなみに三希電機の入っている5階建てのビルの電気工事は勿論の事、建築工事もすべて自社で施工したとの事を後で聞き、二度驚きました。

(3)ZHEN-AO GROUP 珍奥集団
①化粧品関係の製造メーカーの展示室を係員の説明を受けながら、見学コースに従って見学しました。
②広大な敷地と周囲に植物を配置した中に見学用の展示室があり、日本語を話せる係員が懇切丁寧に説明をしていただきました。

(4)編集後記:今回の研修で感じた事は、中国の若い人の真剣さとエネルギーを痛切に感じました。特に、三希電機の若い女子社員の仕事に真摯に取組む姿勢や仕事と大学を両立させながら、さらに意欲的物事を吸収しようとする姿は、今の日本人がなくしてしまったもののように感じられました。又、研修で訪れた企業は、勿論の事、レストランや土産店においても日本語での会話が出来、聞けば日本に留学や一時的に働いた経験があるとの事でした。今、日本と中国の間には、政治、経済、歴史問題、戦争補償等の大きな壁があると思いますが、互いに歩み寄り、いつしか真の交流が図れるような世代を作るような努力を我々日本人も努力する必要を痛感しました。

 

トピックス